りんごのタオル

気が向いたときに更新します。

映画 羅生門

美術の時間で

私の通ってる学校では1年生で美術の授業があります.そこで映画の羅生門を見るのが恒例になっているようです.課題で1200字程度の鑑賞文がだされます...その鑑賞文どうかご査収ください.

鑑賞文(ほぼこぴぺ)

羅生門という芥川龍之介オリジナルのお話は今までに何度も読んだ.しかし,大まかな時代背景以外に羅生門要素は感じなかった.景気が悪く生きるので精いっぱいの中正義をとるか悪をとるか,というのとはまるで違う.大きなニキビの男も,老婆も,暗闇もなかった.暗闇に消えてくというのが事実の不明確さ,3人目の男の奇怪な行動と結びついているのだろうか.

第一に,音声動画という媒体は事実を写真や伝聞より詳しく伝える手段である.にもかかわらずその中で伝聞しかないという不思議なお話だった.あの中で確実なことといえば3人の男が羅生門の下で雨宿りをしていることくらいだろう.作者は何を考えて作ったのだろうか.人間がみんな自己中心に動いていることを伝えたいのか,それともあの作品の中に黒澤は美を見出していたのか,だとしたらあの映画にある人は何なのか,私にはよくわからない.あの映画に対する感想を持つ以前に私には原作の羅生門すらよくわからないのである.

なぜ,この難解な映画が賞をもらったのかと考えた.配られたプリントにあるように同じ舞台で少しずつ違った話が繰り返されている.これはある種の音楽や作文の初めと最後の似たような内容,構成、モネの連作である睡蓮のように飽きが来ない,次はどんな変化球なのか、想像できてもできなくても楽しめる.そういう点で,2016年に谷崎潤一郎賞を受賞した長嶋有の「三の隣は五号室」と似ている。私はこのようなつくりの物語に出会ったのは今までにこれだけだが,もしかしたら典型的な芸術の型であって,それを有効に活用したとして評価されたのだろうか.

物語の主となるところはすごく物騒で人間不信になる人間の1人や2人でそうだが,最終的には赤子を通じて初めからいた男2人が通じ合うところで終わる.さすが世に出す映画だなあと,それまでだと締まりがない.赤子の鳴き声と3人目の男が消えるのとで切り返しをつけているのは上手な構成だ.終わり良ければ総て良し.

どんな映画化といわれたらこうと言い切ることはできないけれども飽きは来ない絶妙なバランスを保った映画だった.よく見る映画とはストーリーの数が違って,映画というジャンルのフレキシブルさを感じた.あれは貴重な体験だである.

えらそう。ほんと。私だったらこんなこと言われたくないなあと思います。